全年全月3日の投稿[68件](3ページ目)
世に出た作品があとから修正・変更されるというのは、それがたとえば明らかに「良くなっている」修正・変更だったとしても、それを見た人のうちいくらかには痛みを伴うものなのだ
だから作品が世に出るなら修正・変更されるべき瑕疵をもたずして修正・変更されずにいるのがいちばんよいこのなのだと思う
なんらか作品が一度世に出て目に触れ、それに心が動くと、「私の心が動いた作品」としてそれは私の心の棚にしまわれて私のものとなり私の一部となる。
それがのちほどなんかの理由にて世に出た作品が修正などされてしまうことは、私の一部を消されてしまうような痛みをともないやすいものなのだと考えています
それとも実はたくさんある二次創作のほとんどにたいしてなにかしらうんざりした気持ちがあり、でも自分がなにか「二次創作」をやろうとしたときそのうんざりするなにかと同じラベルが貼られるというのでそれはヤダ~ってなって今なんか悩んでいるのだろうか?
2021.05.03 00:30
いやがられるような表現をするのであれば、私は私が好きになった人形をふりまわして遊んだり、やりそうなポーズをとらせたりやらなさそうなポーズをとらせたりしたいのかなあという気がする
あるいはそういう「いやがられるような表現」を借りなければ、そのようにしたい自分の欲求を行動にうつせないのかもしれない(愛を表現したい、といおうとする場合、自分のやることが愛という表現にはとてもふさわしくないと感じて、ならなにもしないのが自分にできる最大限の愛にしかならない。という考えになっていく)
2021.05.03 00:24
あるいはそういう「いやがられるような表現」を借りなければ、そのようにしたい自分の欲求を行動にうつせないのかもしれない(愛を表現したい、といおうとする場合、自分のやることが愛という表現にはとてもふさわしくないと感じて、ならなにもしないのが自分にできる最大限の愛にしかならない。という考えになっていく)
にじそうさく…というものへの自分のスタンスとかをかんがえており…いろんな「にじそうさくってこういうものです!」という話がたくさんあるがそれはとうぜん人によりけりで、私はこのことについて考えた期間が1年とか2年とかそのていどで、マンガやらゲームやらやっていつつなんかつくりたい気持ちをもつタイプのひとの同い年のなかではおそらくかなり短いんじゃないかと思う
2021.05.03 00:20