2021年の投稿[379件](6ページ目)

ンン~htmlとcssのテンプレを無料で提供しているところがあるので、まずはそれをいじるところから始めたほうがいろいろ身につく気もするな~~~
画像をhtml上に配置するのでかなり躓きそうだとおもってるので、そこで気持ちが減るよりはテンプレスタートのほうがいいな

アンナチュラルや実写版岸辺露伴は動かないを観て実写ドラマ観れる度が上がってきている。いいかんじ いまのうちに気になる・好きな俳優さんやスタッフさんを見つけて今後映像作品に触れるきっかけになったらいいな

よんべは作業量てきにはそんなでもなかったが、目標までの道をこまこま区切っておいたところ、ある地点まできてさっぱり終えて安心して寝れた。
区切りの箇所がないと進んでるという実感をもてなくてだらだらやったりまったくやらなかったりしちゃうっぽい?

いろんなことへのストレス軽減のために「コメント欄を見ない」を試してみることにした
ついったー見るのもちょっと控える 欄の中にくくられてないコメントが溢れていてあぶないため

男女の性差はゲーム好きか否か・好きなゲームのジャンルは何かに影響しないよ派なんですが、RTAインジャパンの参加者さんの性別が見たかんじ男性に偏ってるのはちょっとへぇ~と思ったことがある。
顔出し参加が多い・少なくとも話す必要のあるイベントだというのはもしかすると関係してるかもしれない。
唯一みた女性の参加者さんは男性とコンビを組んでいた。
全競技を見たわけではないので他にもいる可能性はある。

ビースターズの社会がけっこうめちゃくちゃで、住民死にやすすぎない?これ破綻してない?というふうに見えるのは実はけっこうすきで、自分の生きてる社会や「破綻している」とされる社会を眺めたときに何の憂いもない社会はなくあちこちめちゃくちゃなんだけどなんやかんや人間適応して生きていけちゃうんだよな…よくもわるくも…という気持ちになるため

ビースターズの感想しっかり書きたい気がするが、もくもくやってると「ここがなんかもやもやした、ここは好きじゃなかった」がほとんどになりそうでなんかイヤね
間違いなく楽しんで読んだんだけど~ こういうお話ならここはこうあってほしい…みたいなのが先行してしまってるのを自分に感じる!

どうぶつの擬人化というよりはにんげんの擬獣化だなとおもい 成り立ちや歴史もなんもかも現実と違う世界で、思考様式や暮らし方が現実人類の暮らしほぼそのままの中に獣としておかれてるけものたちは根底が人類だなと感じたので

このテーマでこの書き方で…というので期待してたところからだんだん脱線してしまったなという印象がちょとある…!序盤で期待してた方向とはちょっと違っている気がするなあ的な
一話完結の話(チーターとヒツジの子とか、ニワトリの話とか)のほうが面白く読めた気がするので短編集のほうも読みたい

ビースターズ読み終え
いろんな人の感じる生きづらさ・他人と異なることによる苦しみを擬獣化しているような感じ…だと思った、わかりやすいところでいえば男性と女性の間のいろいろとか
ひとくちで「草食動物は女性の比喩だね」といえるほどシンプルではないと思うけど

ただなんか 修正に否定的な立場の人のうちには、自分の心を守ろうとしている人がいるんじゃないかな~と思った
そんで肯定的な立場の人にも痛みを感じている人はいて、でもそれよりも大事なことがあるから修正は肯定します。という人もいるんじゃないかな~みたいな。

作品の内容とか修正内容への言及は私はできない 作品を読んでいないので…(TLの空気が一つの話題にもっていかれてると、だいたいなんかのひねくれ心みたいなのが出てすぐには触らない。一年後くらいにちょっと話題が再燃したころに触る。)

修正したほうがよいかもしれない瑕疵にたいし修正するかどうか、する場合どのような形にするのか、また修正したことや修正しなかったことについて作外で説明するのか・どのように説明するのかということとはまたべつの話

世に出た作品があとから修正・変更されるというのは、それがたとえば明らかに「良くなっている」修正・変更だったとしても、それを見た人のうちいくらかには痛みを伴うものなのだ
だから作品が世に出るなら修正・変更されるべき瑕疵をもたずして修正・変更されずにいるのがいちばんよいこのなのだと思う

なんらか作品が一度世に出て目に触れ、それに心が動くと、「私の心が動いた作品」としてそれは私の心の棚にしまわれて私のものとなり私の一部となる。
それがのちほどなんかの理由にて世に出た作品が修正などされてしまうことは、私の一部を消されてしまうような痛みをともないやすいものなのだと考えています

こういうのって今までは、「うわ~さすがにないわ、ないない」とはじめからわかってるようなできごとや表現・知った当初から「言っちゃだめな語」として教わっている語、というのに対して使われているものという印象なんだけど、それが「私が小さい頃はOKだったもの」に対して脳内で発生するようになったな

BAROQUEリポートを読んでいたら、ちょっっっっと今の感覚で読むにはキツいなという文章(心読みの者が老婆であり、つまり年老いた女性であることを出発点とした侮辱的な文)があり、「作中、現代では不適切と思われる表現がありますが、当時の文章そのままを保存するという目的にしたがい修正などはせず載せます」というテロップが脳内に流れた。