mosoyora_nanka_itteru

ドアの開いた部屋で独り言をしている。

2021年5月の投稿[13件]

Icon of admin
知ったのが「ネタ」ではなくとも、楽しみを失う可能性はあり、主体は行為側(既見側)ではなく知る側(未見側)にある 未見側がそれを知ることで楽しみを失わないならspoilerではない
Icon of admin
「ネタバレ」という言い方だと、「ネタ」を「バラす」ことであり「知ってる側が知らない側になす行為」であるってかんじだが、重きがあるのはそこよりも「知らない側」が「作品に触れる楽しみを失う情報」であることな気がする 英語のspoilerという言い方のほうが私にとっては適切に思う
Icon of admin
深読み・考察・誤読・願望・幻覚・恣意的読み・解釈などの語がかすみのように頭の中から上の方を漂い形にはならず匂いだけしています
Icon of admin
くろながさんの「動物倫理学ってむずかしい」配信をききながら思ったことをぽつぽつここに書いていこうかなと思います
Icon of admin
「Aというキャラに対し、長く付き合っていたが全く好意的な感情がなく興味もなく、Aが死亡してもとくになんの感慨もない」ということをBというキャラクターが作中で発言したとき、私はこのときキャラクターへの評価を迷い困ってしまった。
評価にいくつか軸があるよと切り分けて考えれば、私のBへの評価は現実的な軸ではマイナスになったが、キャラの厚みという軸ではプラスを感じたとなり、困らない。
Icon of admin
「とにかくなんか面白いキャラ」とか「厚みのあるキャラ」への評価軸と、「現実に存在する人間へのものと同じ目線」の評価軸はぶつかったり同じ向きになったりするが、べつの評価軸なので、すきなキャラ↔嫌いなキャラ というキャラ一人に対して一元的な評価のみしていると自分の中でキャラクターの要素に対し矛盾が発生して困る 切り分け
Icon of admin
非実在のキャラクターに対する好きさ、というのにはいろいろ種類があるように思われる。
そのうちに、現実と同じような目線で評価している軸「他の人とトラブルを起こさない、嫌いな人がいない、誰に対しても好意的である、困っている人のことを助けてあげている、自分の面倒を自分で見れている」とかそういうものがある。
またそれとは別で、とにかくなんか面白い・刺激的な要素のあるキャラクターであってほしい、という軸もある。
Icon of admin
うーんよくわかんなくなってきた。自分のなかのいやなもののことを考えている気がする。
うまくすれば有益なことにつながるけど考えてるのはしんどい感じがする。
Icon of admin
それとも実はたくさんある二次創作のほとんどにたいしてなにかしらうんざりした気持ちがあり、でも自分がなにか「二次創作」をやろうとしたときそのうんざりするなにかと同じラベルが貼られるというのでそれはヤダ~ってなって今なんか悩んでいるのだろうか?
Icon of admin
いやがられるような表現をするのであれば、私は私が好きになった人形をふりまわして遊んだり、やりそうなポーズをとらせたりやらなさそうなポーズをとらせたりしたいのかなあという気がする
あるいはそういう「いやがられるような表現」を借りなければ、そのようにしたい自分の欲求を行動にうつせないのかもしれない(愛を表現したい、といおうとする場合、自分のやることが愛という表現にはとてもふさわしくないと感じて、ならなにもしないのが自分にできる最大限の愛にしかならない。という考えになっていく)
Icon of admin
にじそうさく…というものへの自分のスタンスとかをかんがえており…いろんな「にじそうさくってこういうものです!」という話がたくさんあるがそれはとうぜん人によりけりで、私はこのことについて考えた期間が1年とか2年とかそのていどで、マンガやらゲームやらやっていつつなんかつくりたい気持ちをもつタイプのひとの同い年のなかではおそらくかなり短いんじゃないかと思う
Icon of admin
なにか作品のことがめちゃくちゃ好きになり、いてもたってもいられずそれのことばかりを話し、そしてそれを聞いて話してくれる人がいる という状況に心情的には戻れる気がしてないのだが、そのときの自分の出力数の多さと楽しさは忘れられずにいるし、出力が多いとそれだけなにか洗練されるものもあったよねと思うので、出力するためのフック・出力するクセ、「出力しないほうが良いと思う理由」を探してそこを回避する理屈を自分の中に持つ、みたいなのをやりたい
Icon of admin
自分の中で二次創作というものの立場を考える
私が「このようだといいな」と思っていると発言するのはありだが、絵や文でキャラが動いてそのようなことをするのは無しだなと思ったりとかの個人の意識の線引き
そういった許容、どういった理屈をつければ自分が何かを作ることを自分で許容できるのかという